午前3時9分頃、C51-133牽引の青森発上野行き412旅客列車が突如脱線転覆した。
三鷹駅1番線の車止めに激突して脱線転覆しながら商店街に突っ込んだ。男性6名が
電車の下敷きとなって即死したほか負傷者20名の大惨事となった。 1949.7.15
鉄道3大ミステリー事件は全て共通の陰謀によって
引き起こされたという説を唱える者もあるが事件は
むしろ個々に発生し、それぞれの事件がアメリカや
当時の日本国政府の国益に適う共産勢力の弱体化に
利用されたと見るほうが妥当であると思われる。
「下山事件」についての真相は、現在では大量の人員
整理を迫られた初代国鉄総裁の下山定則が連日の心労
と重圧から精神を病み失踪した後に鉄道自殺した事に
乗じて他殺説を展開したことが事件の真相とされる。
事件は敗戦後のアメリカ占領下において発生し当時
の国内外の社会情勢は複雑であった。

1948年に中国大陸で中国共産党が支配権を確立した
ことにより日本の共産主義化に対し危機感を感じた
GHQ(連合国総司令部)は日本人がインフレに困窮
している状態では共産革命発生の恐れがあると感じ
日本にも資本主義的な豊かな生活をもたらすように
占領政策を大幅に転換していた。

共産主義から日本を防衛するためには、日本経済の
自立と安定が必要であることからGHQは国鉄職員
10万人を含む全産業で100万人の人員整理を盛り込
んだ経済安定9原則を日本政府に指示し、その実行
に関しては1949年3月9日にドッジ=ラインを発表
して公務員の削減と課税を強化する方針を提示して
強烈なデフレ財政金融引き締め政策を行いました。

敗戦後に帰還した労働者の受け皿となって雇用人員
が62万人に膨らんでいた国鉄は1949年6月1日施行
の行政機関職員定員法により約12万人の人員解雇
を発表し、東芝松川工場でも財閥解体による工場
閉鎖で、人員整理についての労使交渉をしていた。

GHQは日本を反共産主義の防波堤とするためには
経済安定9原則の実行に支障をきたすわけにいかず
労働者の支持で躍進を続ける共産党と労働者の大量
解雇に反対していた労働組合左派勢力の活動を急速
に抑えこむ必要がありました。当時の社会背景の中
で鉄道3大ミステリー事件は国鉄による人員削減の
発表が3段階で行われる度に3事件が「下山事件」
「三鷹事件」「松川事件」の順番で発生していった。
(歴史の闇・国鉄3大ミステリー未解決事件に迫る)

「松川事件」の真犯人は目撃情報から12人であったと
も9人であったとも言われている。唯一事件の当夜に
現場を通りかかり犯行を目撃した斉藤金作は、事件
現場で犯人から誰かに松川事件のことを他言したら
アメリカの軍法会議にかけると脅された。斉藤金作
はシベリアからの引揚者で福島県安達郡渋川村米沢
川原田に住んでいたが、松川事件の5日後に別の男
から福島のCIC事務所(米国情報部対敵情報部隊)
へ出頭するよう命じられたために怖くなり、横浜で
輪タクをしている弟の所へ逃亡し転居していた。

斉藤金作は当時をこう語っている。「夜おそく現場を
通ったら人がたくさんいた。横道へ行ってみたら引き
上げるらしかった。背の高い人間だった。そのことが
あってから、しょっちゅう警察のものがきた。事件を
知っているのは私一人だから、言わせまいとして
つけまわすらしい。」

しかし、1951年(昭和26年)1月12日の夕方に斉藤
金作は転居先の横浜で黒人の米兵を輪タクに乗せ一緒
にいるところを目撃されたのを最期に42日間も行方不
明になったあと横浜市南区中村町の運河上で1951年
2月22日に謎の死を遂げた水死体となった姿で発見
されていた。斉藤金作の遺体を検視した医師の見立て
では死後2週間たらずだったという。

また「松川事件」では別件で逮捕した19歳の少年に
対して警察が誘導尋問と自白を強要したことから列車
転覆の共同謀議を行った疑いで無実の者20人が逮捕
され、そのうちの5人に裁判の一審と二審で死刑判決
が出るなど松川事件の経過は数奇を極めました。

しかし、最高裁では被告側の共同謀議など実は無くて
事実無根であるという「アリバイ証明」となる東芝松川
工場の議事録「諏訪メモ」を検察側が保持していながら
もメモの存在を隠蔽していた事実が発覚した。最高裁は
「検察側の言う事は全く信用出来ない」として2審判決
を高裁に差し戻したため、事件発生から10年後に被告
全員に仙台高裁で無罪が言い渡されました。その後は
最高裁が検察側の上告を棄却したことにより被告全員
の無罪が確定したのでした。

「松川事件」は、GHQの謀略により下部組織CIC
共産係2名と雇われた中国大陸からの日本人帰還兵
7名の計9名により謀略が実行された事件であるとも
いわれています。

しかし1964年8月17日で「松川事件」の時効が成立
したため警察の捜査も打ち切られ、未解決の事件と
なりました。現在に至るまで真犯人や事件の真相は
闇の中にあります。
(国鉄3大ミステリー未解決事件とは)

1949年発生の「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」
の国鉄未解決3事件を
総称しているものです。

いずれの事件も第2次世界大戦後のアメリカ占領下で
立て続けに発生し未解決となったという共通点がある。

松川〜金谷川の撮影地付近には前述の「松川事件」の
列車転覆事件による殉職者慰霊碑と事件発生50年後
にJR東日本の労働組合が設置した「謀略忘れまじ」
の石碑が建っています。
63系電車は、それぞれの運転席に人がいないと2両のパンタグラフを同時に上げ
ることが出来ない構造であった。前車・後車ともにパンタグラフが上がっている
様子が判る。これは実行犯2名以上を示唆する事件現場の状況である。裁判では
後車のパンタグラフは事故の衝撃で上がったものであるとされた。
事件当日に下山総裁の夫人が「下山は自殺したのだと思う」と知人に告白していた。
D51-651は、事件現場を貨物列車第869列車の牽引機として0時20分頃に通過し
たが事件当日は主発電機が故障しており前照灯は非常用電池で発光させていたため
10W相当の光量しかなく乗務員は飛び込みには気付かなかった。  1949.7.5
長さ25m重さ925sのレール1本が外され殆ど真っ直ぐなまま13mも移動されており
計5両が脱線転覆して機関士1名と機関助手2名が死亡し、C51-133は廃車となった。

2006年4月22日に14系 「ゆとり」を使用した団体臨時
列車 「のんびり東北の旅」号が甲府〜郡山で運転され
2週連続で 「ゆとり」が東北本線を北上しました。

ED75-757が黒磯〜郡山間の牽引に充当されるという
ので、再度ED75の牽引区間での撮影を行いました。

撮影後は、
「583系の福島花見山号」「ED75貨物」
「455系」
の撮影に転戦しました。

2006.4.22 撮影 松川〜金谷川  
下山初代国鉄総裁はD51-651牽引の常磐線貨物列車に飛び込み自殺した 
三鷹事件では、午後8時23分ごろに留置してあった無人の63系電車7両編成が
突然に国鉄三鷹車庫から時速約60`で暴走し脱線転覆した。
松川事件の列車脱線転覆現場の惨状(松川〜金谷川)  1949.8.17
ED75+14系ゆとり団体臨時列車と国鉄3大ミステリー未解決事件
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「三鷹事件」については単独犯とされた三鷹電車区の
竹内景助運転士が、電車転覆致死傷罪で死刑判決を
受けたのち再審請求中の死刑執行前に昭和42年2月
に東京拘置所で脳腫瘍を放置され獄死している。

竹内景助は共産党員ではなく、事件を当初に担当した
共産党系を語る弁護士から「微罪で済むから自供をし
た方が良い」「釈放後は共産党の英雄として幹部の席
が与えられる」と教唆されたために単独犯行を自供
したとされる事件であった。

三鷹電車区至近の宿舎内に住んでいた竹内運転士は、
事件発生時刻には元職場の元上司及び元同僚が共に
国鉄職員用の風呂に入浴中であったとのアリバイを
証言している。再審請求中の家族によれば実際には
竹内景助は事件の発生時には、自宅で奥さんと一緒
にいて子供を寝かしつけていたともされる。

三鷹事件では63系電車の運転室マスコンの固定に
「コイル巻結び」が用いられていた。この結び方
は一般的には、あまり使われない大変珍しい結び方
であるが消防では多用される必須の結び方である。
竹内景助には消防職員としての再就職がほぼ内定
していた事実がある。竹内景助に結ぶことが出来た
かということは、重大な争点の1つである。

自白以外は確たる物的証拠も無いまま裁判では全く
の書面審査だけで、竹内景助には極刑である死刑が
確定した。

死刑判決は、被害者遺族からの声や当時の新聞論調
や世論に押されたものであり事件発生時のアリバイ
がある竹内景助は冤罪の可能性があるとも言われる。

平成30年1月現在、竹内景助の遺族により裁判所
に再審を請求中で「三鷹事件」の闇は今だに深い。
2006年4月16日に14系 「ゆとり」を使用した団体臨時
列車 「早春の会津路」号が、小淵沢〜郡山で運転され
ました。ED75-758が黒磯〜郡山間の牽引に充当され
るというので、ED75区間での撮影を行いました。

東北本線を北上する「ゆとり」編成はED75-758に牽引
されて、 松川〜金谷川にある単線のカーブ区間をゆっ
くりと通過していきました。

この区間は、1949年8月17日の午前3時9分に発生した
未解決怪事件で国鉄3大ミステリー事件の1つとして
有名な「松川事件」の現場です
。事件は何者かの謀略
により線路や線路の継目板と犬クギが夜間に外された
ために通過列車が脱線転覆して列車の乗務員3人が
死亡した列車往来妨害事件の発生地点でもあります。

2006.4.16 撮影 松川〜金谷川  
電気機関車撮影記録