183系特急しおさい
183系0番台の千マリ1番編成8連が 「しおさい」に
充当され撮影を行いました。
183系登場時はグリーン車1両を含む堂々の9両
編成でしたが 2001年にグリーン車が全廃されて
以降は全車がモノクラスの編成となり 「しおさい」
では8両固定編成と6両固定編成の両方が使用
されました。
千マリ1番編成は長ナノN201番および長モトM8番の
中間車を用いて2002年11月に組み替えが行なわ
れた8両編成でした。
引退が発表されるまでLEDに改造された車両は
人気が無く絵幕ヘッドマークを搭載した車両しか
撮影をしないファンも多かった。
2004.6.20 撮影 佐倉~物井
幕張区183系の仕業は 「さざなみ」 「わかしお」の
房総特急二本立でスタートしましたが北総特急の
「しおさい」 「あやめ」 「すいごう」の仕業を加え
特急仕業は5系統に発展していきました。
「しおさい」にクハ183-1527先頭の千マリ7番編成8連
が充当され撮影を行いました。クハ183-1526・1527
の2両は「とき」用183系1000番台に総武線地下駅
乗り入れ対応の改造を施し 1500番台に編入した
制御車で新潟から幕張区への転入車でした。
房総特急に183系の後継となる新型の257系の導入
が発表されると、今まで撮影者が疎らだった場所
にも続々カメラマンがやって来て撮影地全体が
混雑するようになっていった。
2004.6.20 撮影 物井~佐倉
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さよなら183系「しおさい」記念サボ
最終運転日の1015M車内は満席だった
1975年3月10日に183系エル特急 「しおさい」 が東京~銚子での運転を開始して以来30年
最終日は千マリ1番編成が1015Mに充当されラストランを飾った 千葉駅 2005.12.9
183系0番台の千マリ10番編成8連が 「しおさい」
に充当され撮影を行いました。
千マリ10番編成は2002年10月に長モトM1番編成
およびM9番編成の中間車を用い中間車の組み
替えが行なわれた編成でした。
房総特急の撮影では絵幕装備車の撮影が中心
でLED改造車は撮影してもヘッドマークが良好
には写らなかったりで脇役扱いをしがちでした。
2005年12月9日1015Mが最期の183系「しおさい」
定期運用だと決定したあとにはLEDが同調する
シャッタースピードでの撮影を行うなどの工夫で
LED仕様編成の通過でも従前より真剣に撮影
を行うようになりました。
2005.12.5 撮影 日向~成東
183系0番台の千マリ11番編成8連が 「しおさい」
に充当され撮影を行いました。
183系0番台は1973年から1975年にかけて増備
が継続され最終的には9両編成19本と事故廃車
となったクハ183-17の代替で新製されたクハ183-39
を加えた制御車39両とMM'ユニット57組114両と
グリーン車19両の総数172両が製造されました。
183系0番台の前面愛称幕は手動変換でしたが
1996年から1997年にかけLED式への改造工事
が施されて側面方向幕と一体で動作するように
なりました。
幕張区の183系は車体前面に輝く特急マークが
トレードマークとなっていた。
2005.12.5 撮影 成東~日向
前面非貫通型の千マリ3番編成8連が 「しおさい」
に充当され撮影を行いました。
クハ183-1501・1502の千マリ3番編成8連は中間車を
2002年2月に長ナノN205番編成のMM’× 3ユニット
に組み替えられ、Tc車の窓回りの赤帯は189系
に合わせて広幅に塗り直されていました。
Tc車2両は上越新幹線開業後 「とき」用183系を
房総特急に転用する際の予備車として1981年に
総武線地下駅乗り入れ対応ATC-5型を装備して
新製された後に新潟から幕張区に転属してきた
車両でした。
真夏の緑に183系の車体色が映えて美しかった。
2005.8.5 撮影 四街道~物井
183系0番台の千マリ24番編成6連が 「しおさい」
に充当され撮影を行いました。
183系0番台は1972年に9両編成6M3T 11本分の
クハ183制御車22両、モハ183・モハ182のMM'ユニット
33組66両、サロ183グリーン車11両の合計99両が
新規開設となった幕張電車区に集中配置されて
デビューを飾りました。
1985年には北総特急は基本編成6両とし多客期
に3両を増結する編成に変更されました。
乗務員の業務負担の軽減を目的に前面幕から
LED化への改造工事が始まると前面貫通型車
で絵幕仕様の先頭車を連結する編成は数少な
い希少な存在になっていった。
2005.12.2 撮影 四街道~物井
183系0番台の千マリ22番編成6連が 「しおさい」
に充当され撮影を行いました。
1972年に製造された183系0番台が前面貫通型と
なっているのは 183系設計当初の段階において
総武快速線内では内房特急と外房特急が併結
運転を行い途中駅から2列車に分割する計画が
存在していたからです。
併結運転を行うためには総武線地下区間走行時
に地下鉄等旅客車A-A基準を満たす前面車端
の非常口と併結編成貫通の避難通路を確保す
る必要がありました。
房総特急用のクハ183には前面貫通扉が装備され
小型の前面幕ヘッドマークを装備しました。
2005.8.5 撮影 四街道~物井
2002年12月1日のダイヤ改正時にはエル特急の
呼称が廃止になって「しおさい」には新たに朝の
通勤時間帯には「おはようしおさい」が帰宅通勤
時間帯には「ホームタウンしおさい」が設定され
ました。
「おはようしおさい」「ホームタウンしおさい」は
僅か1年8ヶ月後の2004年10月16日の改正で
「しおさい」に再統合される形で消滅し列車名
としては非常に短命に終わりました。
1982年製造のクハ183-1526を先頭にフルノッチで
トンネルから飛び出してきた千マリ7番編成8連は
2002年7月に長ナノN203番編成のMM’×3ユニット
と中間車を組み替えたためTc車と中間車では
窓高の違いから側面赤帯に段差がありました。
2005.6.25 撮影 佐倉~物井