489系「急行能登」の運転終了と定期運転終了の記念品サボ
上野駅で出発を待つ下り急行「能登」
早朝の大宮駅に停車する上り急行「能登」
489系ボンネット急行「能登」
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いよいよ終焉の近づいた489系ボンネットの急行「能登」バルブ
撮影は、
寝台特急 「北陸」の機関車交換などと合わせて撮れる
と多くの鉄道ファンで賑わった深夜の長岡駅で行いました。


489系ボンネット型は2010年3月12日夜に発車する急行「能登」
の運用を最期に、急行「能登」の電車化運転以来の約17年間に
わたる急行「能登」の運用から退きました。

489系ボンネット型による最終運転では乗客に記念乗車証明書
が車内で配布されたほか、上野駅、金沢駅および車内では各種
さよならグッズの販売なども行われました。

489系ボンネット型による急行「能登」運転終了にあわせるよ
うに急行「能登」は定期列車としての運転を終了しました。

2010年3月13日から急行「能登」は近年の乗客数の減少から
定期列車から臨時列車へと格下げされてしまいました。

設定日のみ運行する臨時急行として再スタートした「能登」は
2010年3月19日を初運転日にムーンライトえちご編成として
活躍した485系新潟車による運転を開始しましたが、平成24年
2月24日の運転を最後に平成24年3月以降は臨時急行としての
列車が設定されないまま運行が中止となっています。
2010.3.6 撮影 長岡駅              
夜の上野駅で発車を待つ急行「能登」
下りの急行「能登」は上野駅発23時33分・大宮駅発0時01分、ボンネット急行を利用する鉄道ファンも多かった
489系最終運転の乗車証明書
489系最終運転日の「急行能登」指定席急行券
夜行急行列車の撮影は深夜か早朝に限定されるため
急行「能登」の撮影は遠征で乗車した時の停車時間に
撮影を行ったり平日の出勤前に早起きして終着駅付近
での撮影を行いました。

上りの急行「能登」の撮影では、終着駅の上野駅に近い
陸橋から
寝台特急 「北陸」寝台特急 「あけぼの」
3列車の撮影をあわせて行いました。

急行「能登」のヘッドマークを掲出した489系ボンネッ
トは定刻時刻どおりに通過して、堂々の9両編成で早朝
の首都圏を走り抜けて行きました。
2006.5.25 撮影 日暮里〜鶯谷     
白山色から国鉄特急色に塗り替えられ出発を待つ489系ボンネット急行「能登」    上野駅  2003.4.7
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急行「能登」は1975年3月10日のダイヤ改正で寝台
特急「北陸」の補完を目的とした客車急行列車として
登場しました。

急行「能登」は、JR化後の1993年3月18日のダイヤ改
正で初めて電車化され、JR西日本の金沢総合車両所
所属の489系ボンネット型車両を使用した運転が開始
されました。

489系の急行「能登」が1993年に運転を開始した時に
は、エル特急「白山」と同じルートの信越本線経由で
運転されていました。

1997年10月1日からは、長野新幹線の開業を受けて
信越本線の横川駅〜軽井沢駅間が廃止されたために
上越線経由の運転に切り替えられました。
2003.6.21 撮影 大宮駅        
下りの急行「能登」は、上越新幹線最終列車や高崎線
高崎行の最終普通列車よりも、後発の列車となる時刻
設定であったために、平日の上野〜高崎間では高崎行
普通列車の終電に乗り遅れた乗客や着席を望む乗客で
ほぼ満席となりホームライナーなみの通勤客輸送の
需要がある列車でした。

下りの急行「能登」は2002年12月1日から上野駅の
発車時刻が約30分も繰り上げられて高崎線内停車駅
が大宮・熊谷・高崎に削減されてしまうと急行「能登」
は終電救済列車では無くなり、帰宅するサラリーマン
を乗せて上野駅を満席で発車する姿が見られなってし
まいました。
2006.4.23 撮影 高崎駅         
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