寝台特急「富士」
終点の大分駅へと向かう寝台特急「富士」がラストス
パートをかけるシーンが撮影出来る高台では海水浴客
で賑わう真夏のビーチの様子が一望できました。

ここは上下線が分離する区間で大築提のカーブを行く
下り寝台特急「富士」を撮影することが出来ました。

「富士」の通過前に
「ソニック」「RED EXPRESS」
が通過したので試し撮影を行って通過を待ちました。

JR九州の赤い電気機関車が牽く寝台特急「富士」の
撮影には廃止までに再び行くことが出来なかったため
これが最期の撮影カットになりました。
2009年3月14日、寝台特急「富士」は廃止されました。

2008.8.5 撮影 東別府~西大分  
九州内を走行する下り寝台特急「富士」の撮影は4日間
にわたる「やまぐちデラックス号」
「SLやまぐち号」
の撮影をしたあと再び小倉駅へ移動して1泊し翌朝の
始発電車で小倉駅から日豊本線を南下して別府駅へ
向かい別府駅でレンタカーを借りてレンタカーで山の
上にある撮影地へと向かいました。

下りの寝台特急 「富士」は東京駅を前日の18時3分に
発車して終点の大分駅には翌日の11時17分に到着の
ダイヤでしたが九州内で撮影する時の心配事は下りの
「富士」が定時に運行をしているかという点でした。
列車の運行状況を確認しながら待機していましたが
下り「富士」は、ED76-69牽引で定時に通過しました。

2008.8.5 撮影 東別府~西大分  
寝台特急「富士」の単独運転は、2005年3月1日ダイヤ
改正で「はやぶさ」併結の「さくら」が廃止されて
「富士」「はやぶさ」が併結した「富士・はやぶさ」
となるまで続きました。

2003年当時は、東京口のブルートレインでは「富士」
「あさかぜ」「出雲」「さくら・はやぶさ」「銀河」
の5列車が定期列車として1日1往復していました。
JRが2006年3月14日のダイヤ改正で利用客の低迷と
車両の老朽化を理由に寝台特急「出雲」を廃止する
と決めるまでは東京口の定期寝台特急列車は国鉄
時代からの伝統ある列車名を冠している永遠不滅の
最優等列車群であり、その僅か数年後に全廃の日を
迎えるとは、予想していませんでした。
撮影はEF66-45牽引の上り「富士」で行いました。

2003.4.26 撮影 大森~大井町    
2003年当時、寝台特急「富士」は身近な場所で毎日
運転されていましたが、機関車と客車で13両編成と
なる客車列車はヘッドマークも付いていて魅力的に
感じたので、場所を変えながら撮影していました。

また東海道本線の複々線区間の撮影では、他の列車
に被られたり並走されたりして何度もトライしない
と被りの無い写真が撮れませんでした。

EF66-53牽引の上り寝台特急「富士」の撮影は天気
の良いゴールデンウイーク中に行いました。

この複々線区間では全速力で終着駅の東京を目指す
ブルートレインの姿を撮影することができました。

2003.5.3 撮影 蒲田~大森     
寝台特急「富士」は単独運転を終了した2005年3月1日
のダイヤ改正に先立ち、オロネ25形がオロネ15形3000番台に
改造されました。

下り 「富士」では2005年1月12日~2月22日までの間、
上り 「富士」では2005年1月13日~2月23日までの間、
オロネ15形3000番台の改造完了まで、個室A寝台客車の
「シングルデラックス」の連結を中止していました。

撮影は改造された「シングルデラックス」連結再開後
にEF66-47牽引の上り「富士」で行いましたが「富士」
の東京~門司の単独運転終了が僅か2日後に迫って
いたため撮影地は多くのファンで賑わっていました。

2005.2.26 撮影 大森~大井町    
1999年12月4日に寝台特急列車の運行系統が整理され
「みずほ」が廃止「さくら」「はやぶさ」が併結で
運転されるようになると東京駅からJR九州管内へと
結ぶ寝台特急列車の運転は
「さくら・はやぶさ」
「富士」の1日2往復のみとなりました。
この改正で「はやぶさ」「富士」は客車が共通運用
されるようになり「富士」は15両編成となりました。
2002年3月23日からは「はやぶさ」2両、「さくら」
1両がそれぞれ減車され「富士」編成は「はやぶさ」
の24系25形客車7両と「さくら」の14系客車5両を
併結した12両編成となりました。
撮影はEF66-42牽引の下り「富士」で行いました。

2004.4.17 撮影 大森~蒲田     
1989年3月11日から「富士」に1人用B個室寝台客車
オハネ25形1000番台「ソロ」の連結が開始されました。
東京~下関の牽引機関車にはJR西日本の下関地域
鉄道部下関車両管理室に所属するEF66が使用され
ていました。
横浜駅を朝9時35分に発車し東京駅へと向かう上り
EF66-42牽引 「富士」の東海道本線複々線区間での
撮影では、運が良く京浜東北線の北行・南行電車に
被られないで撮影できました。
上り「富士」の通過時刻は、「あさかぜ」通過の2
時間以上後であったために撮影は主に休日に行い
ました。
2004.4.12 撮影 蒲田~大森      
1976年10月1日からは「富士」の使用車両が24系25形
客車に変更されましたが東京口の寝台特急としては
「はやぶさ」「出雲」が初めてB寝台の客車で2段式
寝台設備を備えた列車となりました。B寝台が従前の
客車3段式から2段式へとグレードアップされ寝台
内が格段に広くなったので旅が快適になりました。
また編成には、1人用個室の寝台設備を備えた新型の
A寝台客車オロネ25形も連結されるようになりました。
「富士」は1986年11月1日から「はやぶさ」と共通
の編成になってロビーカー連結編成になりました。
EF66-43牽引「富士」の撮影は、
「ユーロライナー」
の上京にあわせて根府川のSカーブで行いました。
2004.7.25 撮影 根府川~早川    
 
寝台特急「富士」の下関~ 門司の牽引には、JR九州の
大分鉄道事業部大分車両センターに所属するEF81形の
電気
機関車が交流と直流の切替区間を通過するために
使用され、門司~大分の交流区間の牽引には
ED76形
電気機関車
が使用されていました。

ED76形牽引の上り 「富士」の撮影は
山口線のSL重連
「やまぐちデラックス号」
の遠征撮影にあわせ前日に
空路で北九州空港に到着したあと日豊本線で杵築まで
移動して行いました。

鉄橋の通過音を響かせながらED76-94牽引で順光の築
堤を行く編成は、ゆっくりと通過していきました。

2008.7.31 撮影 大神~杵築     
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列車名の「富士」の由来は日本を代表する富士山で
す。これは1929年9月に特別急行列車の愛称として
鉄道省が初めて一般公募により列車愛称を命名した
もので「富士」は「日本最古の列車愛称」です。
寝台特急「富士」は、1984年3月14日に東京~ 下関
の牽引機関車をEF65-1100番台からEF66形に変更
し、あわせて従前の円形ヘッドマークを太平洋戦争
開始前まで使用されていた伝統のある山型のヘッド
マークに変更しました。
夕陽を浴びながら東海道本線を下るEF66-49牽引の
下り「富士」はシロツメクサのピンクの花が満開に
咲いた神奈川県平塚市にある馬入橋の付近で撮影を
行いました。夏の期間だけ神奈川県内でも九州方面
へ向かう寝台特急を夕方に撮影出来ました。

2004.7.19 撮影 茅ヶ崎~平塚     
寝台特急「富士」は1964年10月1日に東京駅~大分駅
間で運転を開始しました。1965年10月には日豊本線
経由で西鹿児島駅まで運転を延長して東京駅~ 西
鹿児島駅間1,574.2kmを24時間以上かけて運行する
日本最長距離の定期旅客列車となりました。
1980年10月には運転区間が宮崎駅までに短縮され
1990年3月には南宮崎駅までと再変更されましたが
利用者の減少が続いたために1997年11月に大分駅
までに運転区間が短縮されました。
EF66-45牽引 「富士」は
「TXの甲種回送」とあわせ
て根府川のSカーブで撮影しました。
2004.6.13 撮影 根府川~早川    
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