下山初代国鉄総裁はD51-651牽引の常磐線貨物列車に飛び込み自殺した
事件当日に下山総裁の夫人が「下山は自殺したのだと思う」と知人に告白していた。
D51-651は事件現場を貨物列車第869列車の牽引機として0時20分頃に通過して
いたが、事件当日は主発電機が故障しており前照灯は非常用電池で発光させていた
ため10W相当の光量しかなく乗務員は飛び込みには気付かなかった。 1949.7.5
三鷹事件では三鷹電車区で無人の63系電車が謎の暴走をして脱線転覆した
1両目モハ63019の運転席マスコンハンドルが紙ひもで固定されたあとパンタグラフ
が上げられて発車していた。写真でも前車・後車ともにパンタグラフが上がっている
様子が判る。63系電車は、それぞれの運転席に人がいないと2両のパンタグラフ
を同時に上げることは出来ない構造だった。またマスコンハンドルは、あまり馴染み
の無いコイル巻きという特殊な結び方で結んで固定されていた。 1949.7.15
松川事件の列車脱線転覆現場の惨状(松川〜金谷川) 1949.8.17
午前3時9分頃、C51-133牽引の青森発上野行き412旅客列車が突如脱線転覆した。
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