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鉄道1万キロ突破記念切手の初日カバーの英文解説書には
化学的な変色について以下の表記がなされていました。
21st.. October 1939
Express train Asia
Same forgeries of this value exist with the colour chemically changed.
Loco appears as grey-black.
1939年10月21日
急行列車「あじあ」
(切手の)価値の同じ捏造物が化学的変色である。
機関車は灰黒色のように見える。
この解説書が機関車の色の化学的変化の価値に拘るのは
製造時のエラー品はエラー切手として価値が高くなるためで
全ての切手の機関車の色が藍色から灰黒色に化学的変色
したために特に印刷の色が違っていても切手の価値は変わ
らないと明記したものである。
パシナ981(パシナ12)号機は鉄道1万キロ突破記念の切手図案になり
「あじあ」は日本の傀儡国家である満州帝國繁栄の象徴としても
利用されました。この切手は発行枚数各片15万枚のうち約半分が
満州国宣伝のために海外へと輸出されてゆきました。
南満州鉄道株式会社総裁室弘報課デザイナー佐々木順氏による
原画を元に製作された切手は、縹色(はなだいろ)と藍色の2色で
印刷されました。
一般的には、この切手のパシナ981は黒で印刷されていると思われ
がちですが縹色インクで印刷した上に藍色インクでパシナが印刷さ
れており化学的な変化で印刷が黒っぽくなったものである。
1939年の切手製造時の説明書(記念切手初日カバー)には‥
4分(額面)・縹・藍・2色・中央に満州国鉄道が東洋一を誇る流線
型高速度特別急行列車「あじあ」を表す
と記載されていることからも「あじあ」(パシナ)は実機塗装どおりの
藍色のインクを使って、この切手が印刷されたことが判ります。
日本本土では小学校低学年の国語の教科書に「あじあに乗りて」
が掲載され特別急行「あじあ」の知名度は次第に満州には行った
ことが無くとも全国民の知るところになっていきました。
1939.10.21発行 S田鉄道博物館蔵
14時10分に新京駅を発車のパシナ977牽引大連行きの特別急行「あじあ」
写真はパシナ972牽引の大連行き特別急行「あじあ」
1935.5撮影 奉天駅 S田鉄道博物館蔵
1934年(昭和9年)11月1日に南満州鉄道で運転を開始した
特別急行 「あじあ」は蒸気機関車牽引で最高速度130km/h
を誇る超特急列車でした。
南満州鉄道連京線の大連〜新京701.4kmを8時間30分で
走破して表定速度は82.5kmと特別急行「燕」の表定速度
69.55km/hを大きく凌いでいました。牽引は濃藍色に塗装
されたパシナ形蒸気機関車で客車は濃緑色の車体に白線
が1本入った6両編成でした。
「あじあ」専用機のパシナ形は1934年に11両が製造されて
大連機関区と新京機関区に配置されました。パシナ形機関
車のパシナとは車軸配置2-C-2のパシフィック型機関車で
7番目の設計という満鉄独自の形式名称です。運転整備
重量203.31d・全長25.675m・動輪直径2m・テンダーに
石炭12d・水37dを積載する超大型の機関車でした。
パシナ形は川崎車輌では8両が満鉄沙河口工場では3両が
製造されました。1936年には有名なヘルメット型の被いを
取り付けた1両が増備されてパシナ形の総数は12両となり
ました。製造当初の形式はパシナ970〜981が付番されまし
たが1938年3月に車輌称号の改正が行われパシナ1〜12
に変更されました。
1936.3.11撮影 新京駅 S田鉄道博物館蔵 
特別急行 あじあ (国際連絡特急・1934.11.1〜1943.2.28) 大連〜哈爾濱
「車体色ライトグレー説」の根拠にもなっている公式写真だが「淡緑色」で
描かれた右の看板デザインの元写真にもなっていた
1936年撮影 S田鉄道博物館蔵
この看板の「真贋」は不明だが淡緑色で
パシナ12(981)が描かれて大変興味深い
ディティール等はデビュー時の仕様で
描かれ薄い塗装色の時代とも合致する
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