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×2+豪華な食堂車シ8+2等車ロ8+1等展望車テンイ8からなる
7両編成で客車1両の長さは約25mで編成の全長は174mでし
た。特別急行「あじあ」の運転はで大連〜新京の間にある78駅
中の大石橋・奉天・四平街の僅か3駅にしか停車しない超快速
運転を行っていました。「あじあ」の名称については懸賞応募の
30066通から審議審査のうえ決定され展望車最後尾の「あじあ」
のマークは亜細亜の「亜」を図案化して太陽の光芒を配された
デザインとなっていました。

特別急行「あじあ」が伝説の超特急として語られるのは高速度
運転のほか1930年代では世界最先端の豪華なロマンスカーで
あり展望1等車と2等車には転換式のリクライニングシートを備え
て冷暖房を完備した密閉式客車であったことや国際連絡特急の
役割も果たしていたことが挙げられます。1934年〜1941年6月
に独ソ戦が勃発するまでは「あじあ」に乗車して哈爾濱経由で
濱州線の満州里でザバイカル鉄道に乗り換えてチタでシベリア
鉄道のシベリア横断急行に乗り継ぐとモスクワ・ベルリン経由で
パリ・ローマ・ロンドンなどのヨーロッパ主要都市まで鉄道で行く
ことが出来ました。

1937年1月の東京〜ロンドンの欧亜連絡船車連帯切符の運賃
は釜山・モスクワ・ベルリン経由の乗車距離13,645kmで1等の
運賃は795円と当時の銀行員の初任給70円の11か月分以上
と高価でした。

「あじあ」は太平洋戦争激化により運転開始から僅か8年7ヶ月
で運転を休止しましたが「あじあ」の成功が日本本土の鉄道省
にも弾丸列車運転計画を生み新幹線計画へと発展して1964年
10月1日の東海道新幹線の開通に繋がっていきました。

大連行き「あじあ」は哈爾濱への延長運転開始以前の1935年
8月31日までは奉天駅13時38分着13時43分発で約5分間の
停車中には「あじあ」を順光で撮影することができました。

1935年9月1日から特別急行「あじあ」は哈爾濱まで延長運転
を開始しましたが京濱線は線路規格が低く203dのパシナ形は
京濱線には入線が不能で新京〜哈爾濱では新京駅で牽引の
機関車を交換しパシロ形蒸気機関車が牽引していました。

運転最期まで新京駅以北にはパシナ形は入線できなかった。

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