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は太平洋戦争の戦況が悪化し日本の制海空権が奪われ船舶の撃沈が多発
したために、大陸と内地との物資の輸送は海上輸送から陸上輸送へ大転換
されたことに起因します。
輸送がより安全な日本海を経由する新潟や下関と結ぶ安東港や釜山港から
の輸送が増大し優等列車の運行より軍需物資の輸送こそが国益上の急務
になったからです。
とくに1942年7月15日から関東軍による南満州鉄道株式会社への指示権が
拡大されると「あじあ」の運行継続に難色を示していた軍部の意向にとうとう
南満州鉄道株式会社の経営陣が屈服せざるを得ない状況になったことがあ
げられます。
写真は灯火管制仕様になった「あじあ」
沙河口〜大連 S田鉄道博物館蔵 

展望1等客車のテンイ8は、丸屋根の6輪ボギー車で展望室、特別室、1等室
及び付属設備がありました。1等座席室と展望室の間には仕切りが無いの
で車室内は明るく見通しが良い造りになっていました。
定員30名の座席は絹テレンプ張りダブルクッションの回転イスで各座席に
付いているボタンを押せばどちらの方向にも45度回転ができました。
テンイ8の特別室は定員が2名の個室で肘掛イス、ソファーのほかに脇置や
茶卓がセットされて贅美をつくしていました。
特別室と車端の間に洗面台2基を配した洗面所、荷物室、女子トイレ、男子
トイレ、車掌兼給仕室、物入が配置されていました。
写真は奉天駅に到着した上り特別急行「あじあ」の展望車テンイ8で1935年
頃に販売されていた南満州鉄道発行の特別急行「あじあ」の絵葉書
1934年奉天駅 S田鉄道博物館蔵 

「科学朝日」の表紙はモデルになった写真を
右に約13度傾けたアングルで描かれていた
写真が撮影された時にはパシナ12(パシナ981)
は濃藍色に塗装変更されていた。
1939年撮影 S田鉄道博物館蔵 
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