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特別急行「あじあ」の牽引機関車パシナ形は濃藍色に塗装されていました。
しかし現在中国残存の2両のパシナや戦後に模型化されたパシナが現役時
の塗装色とは異なったスカイブルーやライトグレーの色に塗装されている
理由については、1934年に満鉄大連沙河口工場で完成したパシナ1(970)
とパシナ2(971)を撮影した機関車公式写真や2年後パシナ12(981)を撮影し
た機関車公式写真が実際の機関車色より白っぽく写っていることに起因
しています。

これらの写真は機関車の細部まで写っている必要があるために太陽が
高い位置にある時間に順光で屋外撮影されましたが、完成した写真は
トリミングされたり焼付け時間の調整や部分的な被い焼き処理が施され
影で車体の不明部分が出ないように調整されていました。

もっと解りやすく説明をいたしますと、1934年当時の機関車公式写真は
現在で言えばアナログ的にフォトショップであちこち加工した写真と同様
の効果を得ている写真なので肉眼で見たままズバリが写ってはいない
写真となっていることです。

2006年11月26日に行われた満鉄会の創業100周年記念大会に参加を
した際に南満州鉄道株式会社総裁室弘報課に勤務していた方に直接
パシナ形の色について話を聞いたところ「機関車車体は鉄板の地の銀色
が所々透けたような状態ではあったが薄い塗装で水色に塗られている
パシナ形機関車を見たことがある」との話を聞くことが出来ました。

このことからは満鉄大連沙河口工場でパシナ形2両が先行ロールアウト
した1934年に何らかの事情により「あじあ」開業前の一時期だけ限定
でパシナ形がスカイブルー塗装であったのかも知れません。

一方、満鉄の大連沙河口工場で製造予定のパシナ形11機を全機製造
すると、1934年11月1日の「あじあ」開業予定日に間に合わないという
理由から日本国内の川崎車輌へと製造が発注された8両のパシナ形に
ついては全機が濃藍色塗装で完成して、1934年に満州へと送られて
います。

開業日の1934年11月1日にはパシナ形の11両全機が濃藍色の塗装に
なって特別急行「あじあ」の運転は開始されました。

1934年の「あじあ」開業時に南満州鉄道株式会社鉄道部車両設計の
主任技師であった市原善積氏の手記中でもパシナの塗装は濃藍色と
明記されています。1934年11月の撮影写真で市原善積氏とパシナが
一緒に写っている写真が公開されていることからも「あじあ」開業当時
の色では市原善積氏は間違いない表現をしています。

「あじあ」開業2年後にヘルメット形のパシナ12(981)が製造されました
が1938年以降に「濃藍色」に塗装を変更されました。根拠としまして
は、当時の南満州鉄道株式会社が製作した公式のカラー印刷物の
複数に濃藍色のパシナ12(981)が描かれているからです。

「パシナブルー」と呼ばれた機関車の色がどのように変わって世間一般
に認識されていってしまったのかを考察してみます。

1975年に誠文堂新光社から出版されました「おもいでの南満州鉄道」
市原善積・小熊米雄・永田龍三郎の本文中ではパシナ形蒸気機関車
の塗装は青色との表現が使われていますが「パシナブルー」を知る3氏
の「パシナの青色」の認識が同じであるために単に「青色」との表現で
問題がなかったものと思われます。

1988年には世界文化社から 「忘れえぬ満鉄」が出版されて好評を
博しましたが「忘れえぬ満鉄」の本文中で初めて色の表現に矛盾が
生じました。

パシナ形の運転経験を持つ南満州鉄道元機関士の戸島健太郎氏の
手記ではパシナを「濃藍色の流線型機関車」と表現しているのに対し
永田龍三郎氏の手記の中では「色は淡青色」と初めて表現がなさ
れているのですが「淡」は「濃」の誤植であったと考えられます。

中国で発見されて綺麗な水色塗装で復活したパシナのカラー写真を
多数掲載した書籍でもあり満鉄時代パシナも色の薄い写りの写真を
解説する部分であったために校正を通ってしまったと思われますが
「忘れえぬ満鉄」の出版に際して客車よりも色の濃い写りのパシナ形
機関車の写真を多数を提供した永田龍三郎氏が「色は淡青色」と
認識していたとはとても思えないことが理由となっています。

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